Neoshoさんと最初に会ったのは、今から15年くらい前のことです。
当時宮城県の実家で引きこもり生活を送りながら翻訳をしていた私が、たまたま仕事で東京へ出かけたとき、そこでスタッフとしてイベントのサポートをしていたしょうさんに会いました。
このイベントというのは「ライトボディの目覚め」の著者で当時日本でもとても人気のあったアライア・ズィオンドラ(現在はザラザイエル・ヨヴェル)の東京で開催されたワークショップです。
私は彼女のワークショップ・テキストの日本語訳をしていました。
この「ライトボディの目覚め」は90年代に出版された本ですが、いま読んでもとてもおもしろい内容だと思います。いま起きている心や身体の変化について、理解して受け入れるのが簡単になると思いますので、興味のある方はぜひ読んでください。素晴らしい本は時空を超えていますね。
その場にいたたくさんの人たちの中でも圧倒的な輝きを放っていたしょうさんでしたが、当時の私は人間関係に全く興味がなく、「ステキだな」と惹かれるものを感じたものの、会話することもほとんどなく、「ああいう人はきっとゲイだろうな。。。」と勝手に思い込んでスルーしたのでした。
それから何年かに1度、仕事で会うことはあっても、個人的な交流をすることはありませんでした。
あるときしょうさんが結婚したというのを聞いて、とても驚いたのを覚えています。
震災後に友人とカリフォルニアのマウント・シャスタへのリトリートを開催して、シャスタの地を初めて訪れたのをきっかけに、それまで全く興味がなかったしょうさんの施術・コアフローセラピーを急に体験したくなって、宮城県の私のサロンに来てもらうようお願いしました。
ちょうど震災から数年、私の周りでも心や身体に不調を感じている人たちが多かったので、しょうさんのコアフローセラピー・セッションは瞬く間に人気となり、4年間ほぼ毎月、宮城県でのセッション・講座を主催していました。
ちなみに当時の私のあだ名は「鬼マネージャー」。朝10時から夜10時まで、休憩なしで1週間ギュウギュウに予約をつめていました。それくらいみんなに受けて欲しかったし、たくさんの人たちがこのセッションを必要としていました。
*この期間の珍エピソードは数え切れないほどなので、またの機会にシェアしますね。
しょうさんが毎月宮城に来るたびに私自身もセッションを受けて、いろいろな話をして、どんどん変化していきました。そのうちに「あ、この人だ」と気づいていきます。気づいたというより、ハートの感覚を素直に、そのままに受け入れたということでしょう。
そしてそんな話も正直にしてみると、しょうさんからは私の気持ちに対する感謝の気持ちと共に「今回の人生で離婚することはないので、これからも友人としてつきあっていきましょう」という、穏やかながらもはっきりとした答えが返ってきました。
それであきらめて完全に手放して、「私も最高のパートナーと一緒に最高に幸せな人生を楽しむぞー!」と決めました。
つづく。。。
愛と喜びあふれるままに
Love & Light
Sarah Uniphi
サラ・ユニフィ